八重洲ブログ|九州八重洲の建物から、お客様の笑顔まで公開中です。

八重洲ブログ詳細

社長ブログ 日本の近代化を支えた石炭
2011.09.28

9月25日日曜日、飯塚「そだちの」M様の地鎮祭までの時間を利用して、田川市石炭・歴史博物館を訪れました。

実は、飯塚の「伊藤伝衛門邸」に行ってみたのですが、駐車場待ちの車の行列に諦めて、急きょ目的地を変更して、田川まで足を延ばしました。
飯塚から車で約30分、カーナビを頼りに目的地に着きました。

明治~大正~昭和へと日本の近代化の原動力となった石炭産業。
今の私たちが生活している日本は、当時石炭産業に従事する炭鉱労働者の危険で過酷な労働に支えられてきたことを改めて思い知らされました。

石炭から石油へそして天然ガスや原子力による電力へとエネルギーの移り変わりとともに街の様子も人々の生活も変わって、本当に便利な世の中になったことに甘え過ぎていると反省しました。

yama20119281.JPG

yama20119282.JPG

yama20119283.JPG

yama20119284.JPG

2本の煙突の向こうには、「青春の門」の舞台となった香春岳が見えます。
平らな山が一ノ岳、その左が二ノ岳、三ノ岳と言うそうです。
平らに削られているのは、セメントの原料として石灰石を採掘していたそうです。

yama20119285.JPG

yama20119286.JPG

皆さんご存知の「炭坑節」は、筑豊では一番は「香春岳から見下ろせば~」から始まり、「月が出た出た~」は、三番の歌詞のようです。
知らなかったことです。

yama20119287.JPG

今年の5月にユネスコの世界記憶遺産に登録された「山本作兵衛氏」の炭坑記録画で一躍有名になり、今は筑豊の観光スポットとして平日でも観光バスが押し寄せ、1日の入場者は約400人と以前の約8倍になったそうです。

たまたまですが、翌日の日経新聞に「筑豊の宝 課題ヤマ積み」とのタイトルで記事が出ていました。

山本作兵衛氏は炭坑労働者として50年間働き、自らの体験をもとに、退職後からお亡くなりになる92歳まで、筑豊のヤマの仕事と人々の生活を1000点以上も残されているそうです。

新聞では、絵の維持管理コストの問題と世界記憶遺産に登録されたのは田川市と県立大学が所有する約700点であるため、飯塚市などの近隣自治体との摩擦が起きていると報じていました。

皆さんもちょっと足を延ばして、筑豊の炭坑の歴史と先人たちのすごいパワーを学んではいかがですか?

関連コンテンツ

  • スタッフ日記:九州八重洲のスタッフがお客様との思いでや、プライベートな出来事を綴っています。
  • 現場レポート:現在建築中の現場をブログで公開中。

↑このページの先頭へ

カレンダー
カテゴリ一覧
月別アーカイブ
  • スタッフ日記
  • 現場レポート